久しぶりにこちらのブログでの更新となります。
出版を待ち焦がれていた、世界最高のヘッジファンドであるルネッサンス・テクノロジーズおよびジム・シモンズに焦点を当てた「The Man Who Solved The Market」の邦訳本です。上下巻構成でかなりボリュームがある本でしたが一気読みしました。
ルネッサンス・テクノロジーズの運用は機械的なシステムによって行われており、旗艦ファンドであるメダリオンの収益率は手数料控除後で年率平均39.1%という圧倒的なパフォーマンスを誇ります。その概要は秘密主義に守られてメディア等にも殆ど露出したことがなく、謎に包まれていました。
本書の冒頭にて「最終的にはシモンズ本人も話してくれた。シモンズはこの出版計画をけっして快く思わず、本書を書かないでくれと頼んできた」とあります。著者のザッカーマンが取材を続ける中でシモンズにどのような心変わりがあったか決して推測できるものではありませんが、本書は間違いなく金融史上に残る1冊になるのだと感じています。
今回もシステムトレーディング目線から印象に残ったセンテンスをピックアップし、所見を述べる形で書評をまとめます。
-理念について-
・「どうしてこういうモデルを作らないといけないか分かるかい?」「数学の証明を見つけるよりも市場で何百万ドルも稼ぐほうがずっと簡単だからだよ」
これはその通りかもしれません。少なくとも百万ドル稼いだ私には数学の証明はできません。
・バーレカンプと同僚たちは、メダリオンをカジノに似たようなものにしたいと思っていた。(中略)カジノと同じように、統計的にわずかに優位に立つだけで、大数の法則が味方をしてくれるだろう。
・「100回中50.75回しか当たらないが…、50.75回は100%当たる。そうすれば億万長者になれる」
誰でも味方に付けることができるのは、大数の法則だけです。トレードで重要なのは試行回数です。
-モデルについて-
・やがてアックスは、さらに高度な方法でトレーディングをするしかないと腹を決めた。(中略)アックスは予測モデルを改良するために、確率方程式を導いた経験のある人を引き込むべきだと判断した。
これはルネサンス初期の話です。ルネサンスは1980年代にはいち早く機械学習を取り入れました。自分は確率主義者であるため、ソフトコンピューティングなモデルではなく確率モデルを第一に考えています。
・やがてシモンズはますます不快感を募らせ、「ブラックボックスじゃないか!」と腹を立てるようになった。(中略)「データに従えばいいんだよ、ジム。俺じゃなくてデータにだ」
これもルネサンス初期の話です。シモンズにもこのような時期があったことに驚きました。
・「モデルを信じるんだ。モデルに任せるべきだ。パニックになったらダメだ」
メダリオンの運用を経て、シモンズの考え方は変わります。ただし2008年の金融ショックでは、迷わず手動でシステムを停止させています。この辺りの考え方には正解はありません。
-取引スパンについて-
・一つの投資商品を数週間や、ときには数ヶ月持ちつづけることも多かった。市場はときに激しく変動するのだから、それは危険なやり方だとバーレカンプは訴えた。
・メダリオンで証券を保有する平均時間は1.5週からわずか1.5日にまで短くなり、収益がほぼ毎日出るようになった。
保有期間が長くなればなるほどポジションは不確実性に晒され、予測は難しくなります。予測モデルは短期間であることが重要です。
・ルネサンスのコンピュータは、市場で他社を出し抜くにはあまりに動作が遅かった。(中略)フラッシュボーイズでもなかったのだ。
ルネサンスは数千ものアセットを保有していたため、その取引頻度は日当たり数十万件だったようですが、これらの取引はHFTではなくあくまでもポジション構築コストを抑えるための分割執行のようです。
・いままで無縁だったそれらの長期の予測シグナルを活用する、新たなヘッジファンドを立ち上げたらどうだろうか?(中略)メダリオンほどの収益は上げられないが、代わりにメダリオンよりもずっと多くの資金を運用できるだろう。
このファンドのパフォーマンスはメダリオンよりも大きく劣化しました。短期間での高頻度な取引が持つ優位性が推し量れます。
-運用コストについて-
・短期のトレーディングをもっと頻繁におこなうという戦略にアックスが抵抗していた理由の一つが、(中略)売買委託手数料などのコストによって、収益が相殺されてしまう恐れがあることだった。
・売買という行為自体がその投資商品の価格に大きな影響をおよぼして、収益が損なわれかねないのだ。
執行コストの問題はいかなる時でも付きまといます。ルネサンスでは理想的な損益に対して実際の損益を正確に見積もるためのシミュレーションが行われました。運用時のコストを正しく把握することが必要不可欠です。
・実はフライのモデルが提案する取引は、実際的でないどころか実現不可能だったのだ。(中略)たとえば、ある株式を空売りするよう指示してきても、それが実際には売却できないものだったら、フライはその提案を無視するしかなかった。
これは機会コストに該当します。このような初歩的なミスがルネサンスにもあったのですね。
-エッジについて-
・ストラウスはデータ純粋主義者となって、世界中の誰一人ほとんど気にしないようなデータをかき集めては、クリーニングしていった。
誰も見向きもしないところにこそエッジは存在します。投資は情報戦であるため、他者を出し抜くには他者と違うことをしなければなりません。
・ストラウスの収集したデータを精査したラウファーは、曜日に対応した何通りかのパターンが繰り返されていることを発見した。
シーズナリティなシステムは過去にブログで触れたことがありますが、その内容はこの記述と全く同じものでした。今でも有効であるはずなので興味のある方は検証してみて下さい。この他にも書籍の様々な箇所にルネサンスが使っていた手法の概要が点在しています。
・「実際にモデリングしているのは人間の行動だ」と、ルネサンスの研究者ペナビックは説明する。「ストレスが高いときの人間の行動が一番予測しやすい」
・「トレーディングシグナル」を発見するための三段階のステップを確立していた。(中略)第三ステップは、特定されたその価格の挙動を合理的な方法で説明できるかどうかを見極めることである。
ルネサンスの研究者たちは、研究で見つけたシグナルに対して合理性を求めました。これはデータ・スヌーピング・バイアスを避ける上で不可欠なことです。ただし、運用額を限定して試験運用に踏み切ることも多かったようです。
-秘密主義について-
・シモンズは顧客の投資家たちに、事業の詳細をいっさい漏らさないよう要求した。そして、「唯一の防衛策は目立たずにいることです」と説いた。
これは耳が痛い話です。SNSが普及した現在では自分の発見をついついドヤってしまいますね。しかし情報を開示することでそれ以上のフィードバックを受けることも可能です。重要なのはバランスです。
-クオンツの未来-
・定量的投資手法が熱狂を巻き起こす一方で、その限界もはっきりしている。ノイズの多いデータの中から情報を取り出して正確なシグナルを発見するのは、容易なことではないのだ。(中略)クオンツに特化したヘッジファンドは2019年春までの5年間に年平均約4.2%の収益を上げたのに対し、平均的なヘッジファンドの同期間の収益は3.3%だった。
最終章ではクオンツの優位性に着目しつつも、一方でその有効性の限界も示唆されています。しかしルネサンスのような常識を凌駕したファンドが存在することも紛れもない事実なのです。
-終わりに-
唯一残念であったことは、本書にはシモンズが考えているトレーディングの未来について記載がなかったことです。現在、金融・投資分野には人工知能(≒機械学習)活用の波が押し寄せています。人工知能は機関投資家のプロセスの何処かには必ず組み込まれていると言ってもよいでしょう。今後、その体系がどのように進化していくのか、「最も賢い億万長者」に伺ってみたいものです。