忘れもしない2016年、その年の大発会は中国上海市場の急落の影響を受け、大幅安で始まりました。中国市場の急落は12月製造業購買担当者指数が市場予想を大きく下回ったことが原因ですが、その日に新規導入されたサーキットブレーカーの発動が売り注文に拍車を浴びせていました。
前年の2015年8月にも中国市場の暴落はあったため、多くの投資家はこのような事態に対する備えがあったのではないかと思います。とりわけシステムトレーダーはそうでしょう。稼ぎ時だと考えたはずです。私もそうでした。
暴落相場が稼ぎ時であるというのは、逆張りを行っているシステムトレーダーには周知の事実です。個別銘柄要因でなく市場要因の暴落にはどこかで必ず買い戻しが入るからです。
ただし相場はどこで底を打つかは読めません。従ってこのようなときには特に繊細なマネーマネジメントが必要になります。そして、私はこのショックに対してまだまだ未熟だったのです。
第1週 1/4(月)〜1/8(金)
日経平均の下落幅▲1335円(12/30終値~1/8終値)
このとき私は、数か月ぶりに来たショックに目を輝かせていました。2015年の成績が満足いくものではなかったからです。
直近の2015年12月の月間成績は▲209万円であり、ドローダウンの真っ只中でした。先月分の負けを取り返せる、これでドローダウンを解消できる。私の気持ちは明らかに逸っていました。
システムトレーダーであれば、「暴落相場の逆張りストラテジー」を検討したことのある方が多いと思います。当然、私もそのようなストラテジーを備えていました。
このストラテジーは、15年8月のチャイナショックでの経験に基づくものでした。実は15年8月のチャイナショックでは、利益を出すことができていたのです。このときに私は裁量ホールドという危険な手法を行っていました。
この手法は、相場の底を掴むために含み損の出ているロングポジションを決済せずにホールドする、というものです。15年8月のショックを乗り切った私は、その手法をストラテジーへと落とし込み、磐石の態勢で16年1月のショックを迎えました。
このストラテジーは、「TOPIXの下落率がマイナス**%を下回っていれば翌日に相場が反発する可能性が高く、手仕舞いするはずのロングポジションの決済を引き伸ばすことで大きなリターンが見込める」というものです。
これは感覚で言っているわけではなく、過去のショックのシミュレーションで確かに利益が出る手法です。ただしドローダウンに精神的に耐えることができれば、の話ですが。
1/8(金)、その週はショートポジションの利益が伸びたこともあり、トントンの結果でした。相場は暴落状態でしたが、ポジションホールドのシグナルが発生するには、ほんのコンマ数%、TOPIXの下落度合いが足りなかったのです。
前月の成績がマイナスであったこともあり、何とかこのチャンスをモノにしたい。来週になると早々に反転して機会を逃すかもしれない。そう考えた私は、シグナルが水準に到達していないにも関わらず、見切り発車でポジションホールドを発動させたのでした。「悪夢の裁量ホールド」の始まりです。
第2週 1/12(火)〜1/15(金)
日経平均の下落幅▲550円(1/8終値~1/15終値)
結局、1/8に発動させた裁量ホールドの相対損失、つまりきちんとシステムに従ったときの損益と裁量で行った損益との差分は▲35万円でした。システムに従ったときよりも▲35万円の損をした、ということです。
この時点ではそれほど大きな損失ではありませんでした。しかし、私はこの差分の▲35万円を「システム」でなく「裁量」で取り返そうと考えてしまったのです。今思うと常軌を逸脱した考えだったと思います。
ここから「裁量ホールドのスパイラル」となってしまいました。裁量ホールドして前日の含み損がプラス転換する、そうするとさらなる利益を求め、条件であるTOPIXの下落率を無視して裁量ホールドを継続する、すると翌日には再び大きな含み損に転落する。
日経平均のアップダウンとともに、私の損益も大きく上下にシェイクされました。+200万円の含み益が翌日には▲200万円の含み損に転落する、そんな値動きが一日ごとに繰り返しやってくる週でした。
もしも1/8に裁量ホールドを発動させていなければ、こんな事態にならなかったのかもしれません。一度手を染めてしまったルール違反に対して、これほどまでに感覚が鈍くなるものとは思いませんでした。
私は裁量ホールドの常習犯となってしまったのです。結果としてこの週の最終日である1/15に発動させた裁量ホールドが、私に致命的な損失を与えることになってしまいました。
第3週 1/18(月)〜1/21(木)
日経平均の下落幅▲1129円(1/15終値~1/21終値)
はっきり言ってこの週は正気を保つことができませんでした。かろうじて事の顛末を思い出せるのは、このときに必死になってメモを取っていたからです。特に週後半である1/20(水)と1/21(木)は、日中の値動きが更に過酷なものになっていました。
1/20(水)の日経平均の値動きは、寄り付きから引けまで▲614円でした。この日の日中は私のポジションの損失は膨らみ続けました。
日経平均が▲100円下がるごとに、損失が▲50万円出るようなイメージです。当然ながらショートポジションでヘッジはしていましたが、裁量ホールドしている影響で明らかにロングポジションに売買代金が偏っていました。
ここで転機が訪れます。1/21(木)の日経平均は、寄り付いた後に+300円ほどの急激な上昇を見せました。みるみる減っていく含み損に胸を撫で下ろし、「ここまで頑張ってホールドしたロングポジションがようやく報われる」と思いました。
そう思った矢先、「ん?なんかおかしい・・・」。その日の日経平均は+300円の高値を付けた後、なんとそこから▲700円下げるという脅威のジェットコースターのような挙動を見せたのです。一時はショックの終わりを告げたかのように見せた相場は、一気に暗雲の中へ逆戻りすることになりました。
第3週 1/22(金)
そして来たる1/22(金)の朝、精神的に追い詰められていた私は一番やってはいけないことをしてしまいました。その日の寄り付きで建てるべきロングポジションを全て見送ったのです。
この日、寄り付きの気配は大きく上げていることは分かっていました。しかしこれまでに散々ロングポジションで損失を被っており、前日の日中の急落を目の当たりにした私は、日中に再び反落することが恐ろしくて仕方がなかったのです。
結局その日、日経平均は大きく反発しました。前場が引けた時点で遅れて新規建てしようかとも思いました。しかし、「また反落したら・・・」という考えが頭を過ぎり動くことができませんでした。
後場には更に上げたことは言うまでもありません。結局、その日の日経平均は前日の終値に対して+941円という稀に見る上昇日でした。素人が投げ出したところで相場が反転する、とはよく言ったものです。
このときまでに発生していた損失は1000万円を超えていました。さらに1/22(金)には取り返せた筈の利益を逃したことも精神的なショックに追い討ちをかけました。
当時の運用資金は5000万円でしたが、このショックで実に20%を溶かしたことになります。たった20%と思われるかもしれませんが、投資をやっている方ならこの20%がいかに大きいか、いかに取り返すことが難しいか、理解できると思います。
オレ、どうすんだ…来月子供生まれてくんのに…
こうして3週にも渡る長きショックは幕を閉じたのでした(実際にはこの後の2月にも大きなショックが発生しました)。もしも裁量を入れず、15年8月のチャイナショック後に構築した暴落相場ストラテジーに完全に従っていたらどうなっていたのでしょう?実を言うと、この月は結局プラスで終えることができていたのです。
ただし、いくらシグナルに従っていたとしても、大きな含み損を前にして本当に耐えることができたのか分かりません。利益が出るストラテジーと実際に運用できるストラテジーは異なる、このときに改めてそう痛感しました。
このままでは終われない。私はフラフラになった頭で相方のhohetoへの説明資料を作り始めました。そのときの私にできる精一杯のことは、裁量で大失敗した経緯を嘘偽りなく報告することと、挽回のためのプランを考えることでした。
翌日1/23(土)に緊急でhohetoとミーティングを開きました。電話でのミーティングでした。私は自分が何を考えどう動いてしまったのか、ポジションの損益状況と私の精神状態の推移を一日ごとにまとめた資料を使って説明していきました。
精神状態の不安定だった私とは異なり、起業してお金に対する考え方が根本的に違うhohetoはいたって冷静でした。一連の説明を終えたあと、私は資料の最終ページをhohetoに説明し始めました。
このときの説明資料の最終ページをありのままで公開します。このページを説明したとき、私が号泣していたことは言うまでもありません。
ではこの後どうなったか?このショックでの教訓に基づき、私はこれまでのストラテジーを全て刷新しました。暴落相場でも精神的に安定したトレードができるように見直しました。その結果、2016年6月のBrexitや2016年11月のトランプ当選などの相場を乗り切ることができ、2016年11月末にはこのショックで発生した損失を全て取り戻すことができました。
このショックを通して私が体得した知見は、トレーディングだけでなく一般論に置き換えても同じことだと思います。
以前に私が作っていたストラテジーは、決して悪かったというわけではありません。そのストラテジーを運用するには強靭な精神が必要であり、私にはその能力がなかったというだけの話です。人間はやはり精神的に脆く、そのためしっかりと身の丈に合った規律を設けること、そしてそれを何時いかなる時でも遵守することが重要なのです。
自らの失敗は、自分自身を振り返るための良い機会になります。ただし本当の理想の姿は、このようなショックがなくとも常に自らを振り返るプロセスを設けていることだと思います。
・・・我ながら良くここまで挽回したなぁ。できるとは信じていたけれども。