「あの『超高収入な職業』が人工知能出現で失業の危機!?」
つい先日の5/20に、ダイヤモンドオンラインに掲載された記事です。お察しの通り、将来的にAIがファンドマネージャーに取って代わるのでは、といった内容です。
海外ではAIベースのヘッジファンドはとっくの昔に運用を開始しており、その中には利益を上げているファンドもあるようです。国内では三菱UFJ信託銀行が今年中にAIベースの投資信託を立ち上げるようです。
AI投資は「人の思考を全く介さないコンピュータに任せっきりの完全自動売買」と謳われますが、上記の内容は単に銘柄選定と発注のプログラムを組むだけで簡単に実現できることです。特別なことは何もなく、どの機関投資家もやっている単なるプログラム売買です。
AI投資を正しく表現すると、「株式の超過収益の予測過程において人工知能(つまり機械学習)を利用する投資」となります。フィクション作品の影響でAIにはモヤっとした間違ったイメージが定着しています。「AI投資」という単語は、「リターン予測に機械学習を利用する投資」と読み替えて下さい。
最近になって急速にAI投資に関する注目が集まっている理由として、「アルファ碁」の出現が挙げられます。アルファ碁は「ディープラーニング」と呼ばれる手法をベースとしたAIであり、全ての囲碁の局面において最も勝率の高い次の一手(神の一手?)を予測するものです。要するに囲碁を題材とした入出力を扱う予測システムなのですが、その予測精度が少なくとも人間を超越したことになります。
アルファ碁は数百万のノードを持つ12層のニューラルネットワークであり、およそ3000万局(これについてはいろいろ説があります)の棋譜を機械学習させて、「囲碁ではコンピュータが人間に勝つには10年を要する」という一般論を簡単に打ち破ってしまいました。
では「AIが人間のトレーダーに取って代わるか?」ですが、この質問(というか命題)はかなり見当違いなものであり、「そんなことは有り得ない」と言えます。以下、そう考える根拠を明確に説明します。
そもそも前々回の記事でも述べたように、AIというものは自らが自発的に思考することはなく、学習の結果に基づいた予測・判断しかできません。人間とは異なり、急遽その場で何かを編み出すということはできないのです。従って、強力なAIを作るためには「どれだけ多くの学習をさせるか」ということが重要ですが、ここにアルファ碁がプロ棋士に勝てた理由があります。
AIの力を最大限に引き出すためには、「強化学習」を行う必要があります。「強化学習」とは、通常の「教師付き学習」ではなく自らの経験を元に学習する手法です。アルファ碁は自分同士で対戦し、その結果を学習することができるのです。
アルファ碁は1日当たり3万局もの対局を自身で行い、その結果を学習していきます。これにより、学習のサンプルデータを無限大に増やすことができるだけでなく、普通のプロ棋士の対局では滅多に打たれない「初手天元」ような手(つまりトレードでいう異常値)についても、何万通りもの局面を学習することができるのです。
打たれたことの無い手を打ってコンピュータの自滅を誘うという手は全く通用しませんし、これまでの定石では全く見られない誰も検討もしたことのない手も出てくるのです。アルファ碁の対局の解説者(もちろんプロ棋士です)は、「何が起こっているか分かりません!」と解説していたようです。
しかし、株式市場ではこのようには行きません。株式市場のデータは有限でその数は圧倒的に少なく、さらにデータの素性も悪いのです。
参考までに、囲碁におけるサンプルデータは、終局までの手を平均してざっくり300手と考えると、3000万局×300手=90億個となります。終盤のヨセは打ち筋が決まっていると考えて除外すると、布石から中盤までの100手でも30億個のサンプルを得ることができます。さらに自己との対戦でこのサンプル数を時間の許す限り増大させていくことができます。1日3万局であれば1日当たり300万個のサンプルを積み上げることができます。
これに対して株式であれば、例えば日次データを使うとすると、20年分のデータとしても、およそ1000万個(2000銘柄×稼働日250日×20年)のデータしかありません。為替であれば、例えば分足データを使うとしても、およそ720万個(1440分/日×稼働日250日×20年)のデータしかありません。
しかも株式市場を取り巻く環境や企業業績は年々変化するため、個々のデータを同じ条件で取り扱うことができません。株式市場のデータは「非常に素性が悪い」ということです。囲碁ではいつの時代でもそのルールは全く同じのため、データを全て同じ条件で取り扱うことができます(唯一、「コミ」だけは時代とともに変化しています)。
つまり、囲碁であれば数十億・数百億もの一律条件で取り扱えるデータが手に入るのですが、株式市場ではたった1000万個の条件の不揃いなデータしか手に入りません。囲碁の世界と投資の世界では、サンプルデータの量も質も全く違うのです。
もしも株式市場のデータに対してアルファ碁クラスのディープラーニングを行う場合、数百万のノードに対してサンプルがたった1000万個しかないため、意味の無いパラメータで簡単にフィッティングできてしまいます。投資向けにアルファ碁クラスのAIを構築することは、全くもって不可能なのです。
残る方法は、仮想市場を作って自己学習(強化学習)させる方法です。経済や金融の研究には、人工市場モデルというものがあります。人工市場モデルとは市場の統計的性質を再現した仮想市場であり、東証が規制などを導入する際にこのような手法を用いて規制の効果を予測することがあります。
しかし結局のところ、仮想市場とは人間がパラメータを与えて作るものです。そのような仮想市場において、AIがどのようなパラメータを抽出してくるか・・・株式投資において自己学習するAIというものは非現実的なのです。
ではAIが全く無用かと言われるとそうではありません。機械学習はデータマイニングの立派な手法であり、統計的に裏付けされた一般に知られていない市場特性の抽出に大きな力を発揮します。しかしそれはあくまでも質の高いサーベイという位置付けに留まり、他のクオンツ手法と同じくツールの域を脱しません。従って「AIが人間に取って代わるか」という考え方は全く意味がないものなのです。
「ファンドの分析手法が全てAIに変わるか」と言った表現であれば正しいかもしれませんが、AI、すなわち教師付き機械学習による予測結果が既存のクオンツ手法に対して優れているかは微妙です。「AI投資ファンド」と言えば聞こえはよいのですが、「教師付き機械学習でリターンを予測するファンド」と言うと感覚的にも「微妙」だと思います。
仮に現在のAIファンドがAIを駆使して世の中に知れ渡っていない市場特性を抽出し、その結果に基づいて利益を上げていたとしても、同じようなファンドが多数出現すれば市場調整が発生して近い将来には全く利益が上がらなくなるでしょう。よって従来から市場に存在していたAI投資は、今回たまたま運悪く外的要因で注目を集めてしまったせいで、その寿命は以前にも増して短くなったと考えます。
投資の世界で失業の危機であるのは人間ではなく人工知能のほうかもしれませんね。アルファ碁とは異なり、市場予測の問題には別の観点からのブレイクスルーが必要なのですが、そのような手法は今のところ存在しないのです。